叙情派ひとつ2009

2009年7月発行、A5、116P、100部+30部

「ひとつ」では短いページの中に作者さんの感じた素直な感情が表現できたらいいな、見てみたいな、と思って続けてるんですが、その中で
「詩のようなマンガ」とか「俳句や短歌のようなマンガ」という言い方を時々使ってます。それは表現したい一つのことをそれに絞って端的に表現するのが似ているかな、と思ってのことです。

まあ、ボクの知っている俳句は「古池や蛙飛び込む水の音」とか
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」とかその程度なんですが、専門的な解説はあるのでしょうが、実のところ、それらの句を聞いてもそれがどうした? 程度の感想しか正直無いといえば無かったわけです。

俳句で「それがどうした?」だったら「ひとつ」でも同じなのか?
いやそんなはずはない・・・じゃあなんなのか・・・
ちょっと無視したい気持ちもありながら、ちょっと焦りも感じます。
ときどき思い出したように考えてました。

ある時、ふとこれらの句が読まれた時代のことを想像したときに、なんとなく合点がいきました。同じように皆さんも想像してください。
今のようにTVや写真がなく、本も無かった時代に、目の前の情景をその雰囲気のエッセンスを捉えて「作品」として定着する手法として俳句というのがあったのだとしたら、それは茶道のように実に洗練された情景描写の手法だったと思ったのです。
その時代の人が俳句という短い言葉を耳にしたときに、さっと目の前に見たことの無い風景が美しく広がっていくような経験ができただろうと思います。
そう思ってもう一度先の俳句を詠むとちょっとだけ広がるでしょ?

そう思い至った時に「ひとつ」の方向性もまんざら間違いでもないという気がしてやっと安心できました(笑)。

ある出来事や事象を額縁に入れるように「作品」として定着することは、作り手として達成感のある作業です。

さあ「ひとつ」の作品をじっくり味わってください。あなたの頭の中に作者さんが感じた心の風景が広がり、そしてなにか少しでも残りますように。

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