漫画家の萩尾望都の対談集「コトバのあなた・マンガのわたし」(河出書房新社)を先日読みました。
思想家の故・吉本隆明との対談で面白いと思った部分がありましたので紹介します。
萩尾望都が自分はいやなシーンやキャラクターは描いてないし描きたくないと思っていて、それは逃避なんじゃないかと自分の嫌な部分として話されたときに、吉本隆明が、そうではないと話されました。
逃避とはたとえば少女漫画はこう描かなければならない、という縛りがあって自分の描きたいことが描けないのなら逃避といえるが、漫画のための妄想や「描きたくない」ということも含めて、自分の内面の欲求を正直に表現することはそれは作家としての資質である。ということをおっしゃってました。
・萩尾望都でさえなんでも自由に描いているわけ ではないこと
・自分に描けないことはムリに描かなくてもよく、 描けることを追求していく姿勢が表現者としては大切なこと
資質の大小はあるでしょうが、私も小さな表現するものとして心に響きました。
私はマンガにコンプレックスを持っています。
奇抜でおもしろいキャラクターを作って奇想天外な物語を作るファンタジー系漫画とか、人の生き死にや性的な表現を使って人間の根源に迫る、というような劇画的なものとか自分には作れないなという限界みたいなものを感じて、それがコンプレックスになってます。
そういう気持ちをいだきながら、この「ひとつ」という本を通じて自分なりのマンガ表現を探してました。
ですから、上述のやりとりを読んで気持ちが楽になった気がしました。
「自分の好きなことを、何に縛られることもなく表現していきなさい」と
私も「ひとつ」の漫画集の中でみなさんの心が織りなす世界を垣間見ることが毎回楽しいのです。
「ひとつ」という場でそれぞれ作家さんが本来持っている資質が十二分に活かせますように。
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